久し振りの、万葉のふるさと
[今日の万葉文化館・高松塚の梅] やっと春らしくなって、気分も上々で明日香へ向かう このところ、奈良へはよく通ったが、明日香は...今年初めてになる 調べたい書物が、どうしても「古書店」で見つからず 「万葉文化館」には、あるかな、と期待して車を走らせる ...そこには、当たり前のように書架に収まっているので、やはりここだ、と あらためて、そのありがたさを感じてしまう...
View Article渇き、埋みて
渇きを感じれば、それを補おうとする 果てしない道のりだと、気付いてはいても... 先週も、明日香で過ごした その前の週に見た、ほのかな「梅の花」も このときには、もう散り際... 音楽で満たそうと...耳を傾ける... それでも、渇きは... ひたすら追い求めようとする、「憧憬の時」へ、そこに立つことはなくとも、語らえる...
View Article三連休も、
先週までの週末に、少々あちこちと出歩いたので 今回は、ずっとおとなしく... お陰で、久しく離れていた「歴史」の書物にも触れることができたし、 これが、「万葉集」に肉付けされることを、期待して... 東京で、桜の開花宣言 ニュース番組を見ても、確かに開花を待ち望む人たちの喜ぶ顔、顔... 圧倒される桜並木や、吉野のような桜の山に蹲ると、確かに心も癒されるものだ...
View Article囲碁談義
先日、「AI囲碁ソフト」の「アルファ碁」が、世界のトップ棋士に完勝した この話題で、囲碁仲間や息子たちと、少々時間を持つことになったが、 確かに、このニュースを聞いた直後には、「えっ、こんなに早く!」と驚きもし、 また、かつて「囲碁ソフト」と飽きるほど遊ばせてもらった身からすれば、 「人間対AI」という構図が、どうしても「人の感情」にも言及されるのでは、などと不安にもなった...
View Article石舞台幻想に想う、桜花
梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや この「万葉歌」を、唐突に思い出したのは、一昨日の明日香「石舞台」のことを記事にしようとしたときだ 先日の「奈良花見巡り」は、「一日一首」に書いたので、 ここでは、「石舞台夜桜」のライトアップのことを書こうとした そして、パソコンの前に向かった途端、先ほどの「万葉歌」が......
View Article「古典」に、かたぶくる一日
「古楽演奏、古書、そして古解釈...」 ここ数日、以前ほどの余裕を持てなかったため 昨夜から無性に、読書やら音楽に耳を傾けて過ごしたいと思い その中で、少しばかり感じたことがあった 読書については、ここ何年も「小説」類には触れたこともなく、 「万葉集」絡みの「書」を貪り読んでいるが、その習性が知らず知らずのうちに 私の「感受」のベースになってしまった感がある...
View Article「カデンツァ」、沁みて
この数日、調べ物などの読書のBGMとして、ピアノの独奏曲や、協奏曲を聴くことが多かった クラシック音楽に親しんで、もう半世紀近くなるが、 それまで漠然と聴いていた「協奏曲のカデンツァ」に、ふいに思わぬ連想をしてしまった ふいに、という表現が、あまりにも唐突感を思わせるが、 私にとっては、紛れもなく、「ふいに」というほどの波動のようなものだった...
View Articleソリストの「孤独」感
音楽のジャンルの一つに、「協奏曲(コンチェルト)」というのがある ソロ楽器、たとえばピアノとか、ヴァイオリンとかのソリストと オーケストラが、まさに「協奏」して、ひとつの楽曲を演奏する 先日来、「カデンツァ」のことで、やけにその「協奏曲」を聴いているが、 この週末になって、「協奏曲」の「独奏楽器のパート」演奏を聴き続けている これまで、こんな聴き方をしたこともなかったし、...
View Article41年振りの「軌跡」を眺める...「大山北壁」
人の歩む道、というのは、必ずその原点がある 私が今も尚、のめり込む「万葉集」にしても、あるいは、すでに登らなくなった「山登り」にしても その原点を、見詰めたいという願望は、そう簡単に用意されはしない 還暦になって、そのまま惰性で年を重ねることは勿論望みはしない かと言って、今まで以上のエネルギーを何気ない普段の生活の中から得ることも、確かに難しい そんな「気力」の衰えを感じていた私に、...
View Article水郷の町
イメージ通りの町並み、というのも、たまにはある 今日、以前から歩きたかった滋賀県近江八幡を歩いてみた 僅か半日の時間だったが、昨日まで思い描いていた町並みと、まったく同じだったことに驚く いや、正確に言えば、その景観が必ずしも想像通り、と言う訳ではなく その景観から醸し出す、「町の雰囲気」が、私の頭の中で見事に重なっていた...
View Article万葉びとたちとの新年会「第八夜・幻、天平八年遣新羅使」
万葉びとたちが集うこの広間には、庭との仕切りに、引き戸がないそんな造りの家屋など見たこともなかったが、何故か違和感を持つことはなかった雪解けの春を思わせたり、あるいは気付けば真冬のように深々と降る雪を見ることも...視覚的な季節感は窺えても、体感としての寒さや暑さは、ここでは感じられない考えてみれば、ここに集まる人たちにとっては、すでに季節感に心を動かせる必要もないことなのだろう...
View Article万葉びとたちとの新年会「第九夜・幻、天平八年遣新羅使」
「万葉集」に関して、誰もが知っていることだが、平安時代の菅原道真の著と言われる「新撰万葉集」(上巻893年、下巻913年には奥付にそうあるが、道真はその十年前に亡くなっている)がある その「序」に、いきなり「万葉集」という文字が目に入る...
View Article万葉びとたちとの新年会「閑話・三月の空近江」
大伴三中たち、万葉びとたちから多くの課題をもらったしかし、浅学の私には「思考の手順」というものを身につけていないので求めようとする「何か」が、いつの間にか視界から消えたり暴走したり... 「遣新羅使歌群百四十五首」を列記して、何とか「遣新羅使歌群」を理解しようとするが、三中の心情をそこに持ち込むと、今まで感じていなかった視界が目の前に広がってくる...
View Article万葉びとたちとの新年会「第十二夜・海路に情を慟ましめて思ひを陳べ」
いつの間にか、三中の周りに集まってきた人々...大使をはじめ、その名を正史でも残す者もいれば、「万葉集」にのみ、しかもこの「遣新羅使歌群」でしか知られない人々...話題になるたびに、その存在を姿となって見せたり、私が気付くことなくいなくなったりはするが......
View Article万葉びとたちとの新年会「閑話・三月の空、明日香の響き」
奈良時代の人たちにとって、「古京」と言えば、飛鳥をさすのだろう洗練された古都・京都に較べ、奈良時代の都・寧楽は、まだまだ自分の足で歩けるそんな親近感を覚える...それは、京人として住むならば、どちらに住みたいか、と訊かれて、答える根拠にもなる...
View Article万葉びとたちとの新年会「第十四夜・海路に情を慟ましめて思ひを陳べ」
ふと目覚める随分とご無沙汰している「新年会」なのだが、目の前の顔ぶれ、そして「会場」の透き通るような空気は、全く変らないそう、「時」までも「透き通って」いる 私としては、不意に席を外したことへの言い訳から、と思うのだが、あたかも私の不在中は、時間が止っていたような気さえするそれでも......
View Article万葉びとたちとの新年会「第十五夜・海路に情を慟ましめて思ひを陳べ」
奈良時代...私にとっては、それは「万葉の時代」という意味にもなるが、では「万葉の時代」というのは、どんなイメージを説明すればいいのだろうたんに「万葉集」という、とてもスケール観のある「歌集」の存在を特筆すべき、というだけでない「万葉集」は、どうして生れたのかそれは、日本の歴史観にも関わるように思えてしまう...
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