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Channel: 残雪、もとめて
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囲碁談義

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先日、「AI囲碁ソフト」の「アルファ碁」が、世界のトップ棋士に完勝した

この話題で、囲碁仲間や息子たちと、少々時間を持つことになったが、

確かに、このニュースを聞いた直後には、「えっ、こんなに早く!」と驚きもし、

また、かつて「囲碁ソフト」と飽きるほど遊ばせてもらった身からすれば、

「人間対AI」という構図が、どうしても「人の感情」にも言及されるのでは、などと不安にもなった

SFの世界でよく登場する、限りなく人間に近い「ロボット」を思い浮かべてしまうほど、

囲碁の世界での「AIの勝利」は、衝撃と称讃は惜しみなく贈られると思う


しかし、少なくとも私の馴染んだ「囲碁の世界観」では、

この出来事は、まったく「別世界」のことだ、と改めて思う


仲間や子供たちと話していても、確かにその強さに驚きはするものの、

では実際に、対戦を望むのか、と言えば...それはないだろう

勿論、最高レベルの棋力に、我々のような「ざる碁」を楽しむ者たちが、

そんな機会を得られるはずもないが、問題はそこではない


「AI囲碁対人間」という構図は、そもそもが「人間の最高棋士」に勝つことが目的では無いはずだ

「AI」にとっては、これも単なる通過点に過ぎないものであり、

その先に展開される、「AI」本来の「目的」...それは多様な分野によるものだろうが、

それを見据えての「開発」なのだから、「AI対人間」の「勝負」は、

逆に言えば、「やっと囲碁もクリア」したか、というべきだと思う


「AI」にプログラムされた「学習能力」は、桁違いに「人間」を凌ぐ

そして、「タイトル戦」での「七番勝負」や「五番勝負」で見せる、「対局者」たちの「思考の限界」に挑む姿

これらを、決して「同じ土俵」で語ることは出来ない

「人が人である思考力の限界」を、「AI」は瞬時に理論展開させるのだが、

それはもう「ゲーム」ではなく、身体能力の比較のようになっている

「100m走」で、人間がマシーンに及ばないのは、誰も疑わないが、

だからと言って、その競技の価値が下がる訳ではない


低レベルな話に置き換えれば、

囲碁仲間との「打碁」...

相手の感情が楽しめること、ときに負けた悔しさで、何局も誘う必死さ...


今、苦笑しながら思い出すのが、学生時代に下宿生たちと、囲碁を覚えたての頃だ

運よく勝った方は、そのまま気分よく、碁盤から離れようとするが、

負けた方は、悔しくて「もう一局」とせがむ、

そして、その再戦に勝ったら、今度は相手から、「もう一局」と懇願される

いつまで経っても、私たちに終りは見えなかった

やがて、下宿の窓辺に朝日が差し込み始めて、ようやく夜通し打っていたこと知る


そうなると、互いに空腹感に「我に返る」...今度こそ最後だ、とお互いが約束して...


こうした盤上のゲームには、目の前に「心を持った好敵手」がいるからこそ、

人は、決して飽きることもなく、またどんなに棋力の差があろうとも、それに見合った楽しみ方ができる

だからこそ、盤上ゲームは、どんな時代であっても、人に愛され続けるものだ


もっとも、今回の「AI囲碁ソフト」の開発当事者たちには、

私のような思い方など、はなから見越してのことなのだろう

そもそも、「目標」が違うのだから...

しかし、世間の騒がれ方を、大雑把に目にすると、

「囲碁」には興味ない人の感じ方と、どんなレベルであっても「囲碁を楽しむ」人たちとの感じ方では、

随分と違うだろうなあ、と思う


今夜は、少しは腕を上げた娘と一勝負してみよう

 


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