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Channel: 残雪、もとめて
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41年振りの「軌跡」を眺める...「大山北壁」

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人の歩む道、というのは、必ずその原点がある

私が今も尚、のめり込む「万葉集」にしても、あるいは、すでに登らなくなった「山登り」にしても

その原点を、見詰めたいという願望は、そう簡単に用意されはしない

還暦になって、そのまま惰性で年を重ねることは勿論望みはしない

かと言って、今まで以上のエネルギーを何気ない普段の生活の中から得ることも、確かに難しい


そんな「気力」の衰えを感じていた私に、

その「原点」を、しっかり見詰めさせてくれる機会が訪れた


「中学の同窓会」の案内が、それだった

参加すれば、46年振りになる

これまで、多忙や比較的多くの転居のせいで、「同窓会」というもの、一切出席していなかった

今回は、「還暦を迎えて」という案内の言葉があった


その言葉に、私が受けた「衝動」が、走り出す


この「同窓会」を利用して、松江での「少年期」を今の私のエネルギーに取り込もう、と...

小学校の修学旅行以来の「49年振りの鳥取砂丘」、

還暦を迎えた中学同窓生たちとの「46年振りの再会」、

今は変貌の大きい、高校時代の「八重垣神社」の「43年振りの鏡の池」での思い出


これらは、「一日一首」の方で、少し書いたので、

ここでは、一番今夏の「意義」を感じる「大山北壁」の「原点」にこだわりたい


私の「山登り」の原点は、高三の夏休み、穂高岳に登ったことから始まるが

たった一人で、思い詰めて敢行した「大山北壁」に優るものはなかった

二十歳の札幌からの帰省中、どうしても地元の山としてそこに足跡を残しておきたかった私は、

まだまだ未熟ながらも、ただ「山」という魅力に憑れた、「無謀」と「情熱」を履き違える若者だった


「大山北壁」を、もう一度見たい、という想いが強くなったのは、

2年前の帰省のときだった

それまでは、遣り残したまま終えた「冬の前穂高岳北尾根」のことばかり頭にあったのだが、

その帰省の際に、ふと大山に立ち寄りたくなって

出来れば、「北壁」でも見られたらいいなあ、という軽い気持ちだったが、

運悪く、その時は雨

大山の全容さえ見ることが出来なかった


そうなると、一層「見たい」という気持ちは募るもので、次の帰省では必ず、と思っていた

出来ることなら、その「基部」まで行って、この手で岩肌に触れてみたい

そんな願望が、日増しに強くなりはしたが、なかなかその機会もなかった


そして、例年以上に「今夏の夏バテ」で、「体力も気力」も完全にアウト

だから、敢えて言えば、今回の「同窓会」は、私の「原点」を見詰めるいい機会だった


実際に「大山」に着いて、山頂を目指す意欲よりも、

あの時の、自分の攀じたルートを、もう一度見てみたい、という気持ちが強まった

確実なのは、「賽の河原」と呼ばれる、水無しの河原を詰めて行って、

北壁の基部に行くのがベストなのだが、それだと、「北壁のルート」全体を見ることは出来ない


あまり近づかず、それでいて「北壁」の醸し出すオーラを感じるには、と

しばらく「河原」を遡上し、途中で大山寺の裏に抜ける緩斜面を登って、やっと「北壁」と対面した


あの時の「私の北壁ルート」が、はっきりと見える


これを「原点」と言うのは、登高差約400メートルと言われるこの「壁」に、

それこそ、今の私では思いもしない「無謀な想い」を支配されていたからだ

それでいながら「原点」と言いたいのは、

その時の想いが、その後の生き方のほとんどの場面で、ベースになっているからだ


ノンザイル...ザイル無しで、自分にとっての初めての壁は、まったく考えられない

いざ進退窮まったときに、下降すらできない

ハーケン、カラビナ類は持参していたが、頼みの「ザイル」は、

この時、約束していた友人に託していた

その友人が、急に来られなくなった時点で、本来なら諦めるべきだった


それでも、ただ眺めるだけ、と自分に言い聞かせ、「基部」までやって来た

そして、目の前にする「北壁」の魅力...抗えるはずもない...

「理性の乏しい未熟な若者」には...


「北壁」の岩の質が脆いことは承知していた

それでも、いざとなれば、ハーケンを連打して...攀じられる、と自信があった

結局、最初の取り付きのフェースを数メートル登った段階で、

もう上に向かうしかないことが、解る

いきなり垂壁を登ったので、下りることの方が、難しく思えた


あの時の、いくらかの「迷い」、

そして、それを押し切って稜線に立ったときの感動、

それらが、私を天狗にし、あらゆる面で、その鼻をへし折られるまで続く


だから思う

どんな若者でも、自身の成功に酔うものだ

そして、多くの場合、その状態で判断し得られる結果は、当面は目立たない

そこに、とんでもない「落とし穴」が潜んでいることを...


しかし、鼻をへし折られた天狗は、それを経験しなかった若者より、「怖さ」という「宝物」を得る

勿論、人それぞれだろうが...少なくとも、私はそうだった


こうやって、「大山北壁」のルートを見詰めて、それを「原点」と言うのは、

決して、その完登した「軌跡」を「誇らしく」思うのではなく

それゆえに、自身に降りかかったその後の人生に、「欠かせない」経験であり、

それが、今の私に繋がる意味で、「原点」であることは、確かなことだ


「有頂天」と「挫折」...無いよりは、あった方がいい

そして肝心なことは、「有頂天」の度合が大きいほど、その「挫折」も大きく

それが、きっと自分を成長させる...


「挫折」を誘う「大山北壁」...このルートの全容を、41年振りに見ることが出来た

しばらく眺めていたが...これこそが、今の私に必要な、エネルギーであることは、間違いない

感慨というものが、思った以上にあるのは

ただ懐かしむ、というのではなく、当時理解出来なかったその姿を、基部から稜線まで、

追いかけることが...やっと目の前で具現出来たからだろう...

 

 

 

 


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