イメージ通りの町並み、というのも、たまにはある
今日、以前から歩きたかった滋賀県近江八幡を歩いてみた
僅か半日の時間だったが、昨日まで思い描いていた町並みと、まったく同じだったことに驚く
いや、正確に言えば、その景観が必ずしも想像通り、と言う訳ではなく
その景観から醸し出す、「町の雰囲気」が、私の頭の中で見事に重なっていた
日本全国、いや世界中でも「水郷の町」という呼称で親しまれている「町」は多くあるだろう
私の故郷「松江」もまた、その名を冠している
そして、その「雰囲気」を同じように重ねられる「他の水郷の町」と言えば、
私は、ずっと近江八幡の「掘割」を思い描いていた
もう何年も前になるが、出張でこの町に数時間ほど滞在したことがある
しかし、そのときには「掘割」を歩くことはなかった
是非、と勧められても、時間がないので立ち寄ることもせず
それ以降、いつか必ず行こうとは思っていたのだが...
そのとき、駅のポスターで見かけた「掘割」の景観が、やけに「松江」と重なってしまって...
まったくの空想で、近江八幡の掘割を思い描いていたのではなく
そのときのポスターが、紛れもなく「故郷」にシンクロさせていたのだが...
先に「雰囲気」が、同じだ、と言い直した
確かに、「景観」も、松江城の堀から「宍道湖」をかすめて廻る佇まいが似ている
しかし、唯一違いがあるのが、「堀」の活用の仕方だ
それを今回、実際に掘割を歩いてみて、強く感じた
松江城の掘割を、屋形船で廻っていると、
当時松江城に登城する「役人」たちの、一種の出勤手段である「小舟通勤」を思わせる
今でこそ、松江城の北面に見られる「武家屋敷」などは、整然と管理保全が行き届いているが、
堀の周辺にも、多くの「役人の小屋敷」があったことだろう
その建物は、古いままのものもあれば、現代風に使われ古した家屋を見せるが、
何より変らないもの、それが屋敷の裏から堀へ下りる「石段」だ
どの屋敷もそこから下りて、堀の小舟に乗って「さあ出勤だ」とでもいうような光景を教えてくれる
「小舟」は、まるで乗り合いバスのように、あちこちで「役人」たちを乗船させて「城」に向かう...
それが、「水郷松江」のイメージになるが、「水郷近江八幡」のイメージは違う
「白壁の蔵」が、まさに商人の町「近江」を揺るぎないものにしている
地方地誌に疎い私は、当時の「商都」のスタイルなど知っている訳ではないが、
このような「堀割」を利用して、「商品の物流」が成り立っていただろう、とは容易に想像できる
商都大坂と、河川を利用して琵琶湖との往来、
その琵琶湖の水によって栄えた「近江八幡」を思わずにはいられない
ありのままの「自然美」と言えば、
観光化されずに、しかしその名残を偲ばせる「景観」を言うのだろう
松江城の掘割に、それを当てることはできる
しかし、近江八幡の掘割は、そのエリアが現代でも当たり前のように「歩ける」ところにある
その意味では、かつての「水郷都市」を「偲ぶ松江」以上に、
今でも身近に散歩できる、掘割の石畳のある「近江八幡」に魅せられたようだ
勿論、故郷も素敵で「枯れた主張」を感じさせるが、
「水郷商都」である「近江八幡」もまた、現代にも尚「現役の主張」を強く感じさせてくれる
私の残された人生、万葉故地巡りだけでなく、水郷巡りもリストに入れておこう
「宍道湖と松江」、「琵琶湖と近江八幡」...他にもまだまだ出逢えそうだ
八幡山から、琵琶湖を初めて俯瞰した
湖畔の平野に、近江八幡は...栄えるべくして栄えた町だった、と痛感する
そう言えば、松江を同じように俯瞰できる「山」のような小高いところは...あったかなあ...