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Channel: 残雪、もとめて
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ソリストの「孤独」感

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音楽のジャンルの一つに、「協奏曲(コンチェルト)」というのがある

ソロ楽器、たとえばピアノとか、ヴァイオリンとかのソリストと

オーケストラが、まさに「協奏」して、ひとつの楽曲を演奏する

先日来、「カデンツァ」のことで、やけにその「協奏曲」を聴いているが、

この週末になって、「協奏曲」の「独奏楽器のパート」演奏を聴き続けている


これまで、こんな聴き方をしたこともなかったし、

何よりも、そんな演奏が、聴けるとは思ってもいなかった

「協奏曲」は、その名の通り、

個々の楽器が、協力し合って奏するものであり、

パートを抜き出して、そのメロディを聴くなどと、それでは「完成された一曲」にはならない

 

しかし、偶然こうした演奏に触れると...

これは、演奏者の「唯一存在する世界観」に、引き込まれてしまう

改めて思った

協奏曲で、馴染みのメロディを口ずさむことも多いが、

そのメロディを、聴かせるのは、多くの場合が、オーケストラの奏でるものだった

多くの人に親しまれている、有名なピアノ協奏曲など、

その序奏部は、オケの導入部から始まり、ソロ楽器は、あたかも「伴奏」のようにメロディに厚みを加える

上述のように、ソロのパートだけで弾いたメロディには、

普段口ずさめるような、甘美なメロディは聴き取れない


そして、思う...


ソリストたちの練習方法とは、いったいどんなものなのだろう、と

門外漢の私には、これまで考えたこともなかった疑問が湧き起こる

演奏家や、あるいは音大生などの専門家が身近にいれば、

そんな疑問など、訊いても笑われてしまうだろうが、

今の私には、その疑問が、頭から離れない

いつもオケと一緒に練習しているわけではないだろう

個人的にも、かなり「独奏部」の練習はなされるはずだ


しかし、「ソロのパート」だけの「一曲」を聴いていると、

その音楽は、まったく違うものに感じられる

確かに、部分的には、該当する協奏曲のメロディを聴くことはできる

しかし、そこに流れるような「一曲」のメロディは存在しない

スコアの一音一音が、まるでオケの「一音」と重なって、初めて「和音」としての「一曲」を知らせてくれる

それほど、「ソロのパート」だけの演奏は、本当に別世界の「音楽」だった

素人の私でも、毎日聴いていれば、一曲の「流れ」は、頭の中で奏でられる

それは、無理のない自然な「音の流れ」を、すでに受け入れているからなのだが、

「ソロのパート」には、どうしても意表を突かれる「音の断絶」が感じられてしまう


そんな「ソロのパート」だけを、一曲完全に弾きこなすには、

普段の私たちとは違う「音楽」が、奏者の頭に流れているはずだ


よほどの「強い意志」がなければ、「一曲の完成された音楽」にはならない

そこに、ソリストたちの「強靭な孤独感」を思ってしまう

勿論、「協奏曲」奏者に、「孤独感」という言葉は矛盾するが、

それは、「協奏曲」として出来上がった作品に対しての「協奏」であって、

ソリストにとっては、そこまでに辿り着くのに、壮絶な「孤独感」と纏っているはずだ


大袈裟な言い方、俗っぽい言い方を敢えてするなら、

ソリストたちが、「哲学者」に思えてくる


どんな技巧を求められても、弛まない努力をすれば、何とか「楽器」は扱える

しかし、指が勝手に動くという「天性」に恵まれて、初めて「一曲」は生まれてくる

それは、間違いなく限られた「天才」たちの世界だ

そこに凡人の私が、推し量ることのできない「作曲家、演奏家」の「苦悩に満ちた人間性」がある


よく、「何々を伝えたかった」とかのメッセージを「作者」はつける

そして、評論家たちも、こんなメッセージが籠められているだろう、と評論する


私は、そんな表現はあまり興味を持たない

「芸術作品」と言われるものは、「作者のわがまま」が、根本にあるべきだと思っている

それを、押し付けるのではなく

また、その作品を聴いたり見たりする側も、作者の「意図」に拘らず、

自分という人間が、それをどう感じたか、でいいと思う


「芸術作品」の鑑賞が、キャッチボールではなく、ピッチャーとバッターの関係のような、

感じれば、打てる

感じられなければ、打てない


そんな関係でいい

勿論、そこに「作品」に対する「優劣」など論外なことは、言うまでもないが...

 

 


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