昨日今日、とても天気が良く、それを理由に散歩などする性分でもないのに
珍しく、散歩と今日の過ごし方を決め込む
今日は、仕事も休みなので、実質的に四連休になるが、当初は資料の整理に当てるつもりだった
しかし、昨日の気分転換の近場の散歩がいけなかった
公園まで歩いて、暖かな春の陽射しの中を、ゆっくり歩こうと思っただけなのに
うっかり、梅の誘い込むような「色彩」に目を奪われてしまって...
梅花の名所という訳ではない
有り触れた、住宅街の公園だ
花には目もくれない子供たちが、元気一杯に遊んでいる
梅...名所と言われるところは、きっと人も多いのだろうが、
私は、どこで見ても同じように感じるので、このところの読み物疲れを癒すには、
こうした近場で充分だ
紅梅、白梅...傍で鼻を近づけると、ほのかにその香を感じることができる
万葉集に「梅花三十二首」という歌群がある
勿論、梅の花を題材にして詠ったものだが、
私には、ことさら「梅の花」に何故、という無粋な気持ちも少なからずある
確かに、「花を愛でる」のは、人の心をたっぷりと癒してくれる効果はあると思う
その色に目を奪われ、その香に、目を閉じ、
そして、頭の中では誰もが詩人になったかのように、普段思わない、また使わない言葉まで浮んでくる
作歌というのは、そうした「非日常」でなければ、なかなか自分自身に納得させることは難しいと思う
目の前に「梅の花」が咲いている...しかし、私には、何も浮ばないのが、少々悔しい気もする
ただ眺めるだけで、充分なタイプと、そこから何かのインスピレーションを得て「言葉」を紡ぐタイプ...
詩人には、敵わない
しかし、思いがけないことに遇うと、こんな私でも、いくらかは詩人になれる...と思っていた
残念ながら、詩人にはなれなかったが、ふと万葉の時代の作歌の舞台を思い浮かべてしまう
昨日の思いがけないこと、というのは
おそらく、あまり記憶にないことなので、私自身初めてのことかもしれないが、
梅の花に戯れる「めじろ」を見つけたことだ
今まで、植物園や、こうした並木を歩いていても、その鳴き声はいつも聞いてはいる
しかし、その姿を見た記憶がない...これは意外だ、と思った
めじろの色は、春の色のように感じてしまう
優しい、まさに古語でいう「萌黄色」なのだろう
じっと見入っていた...隣の樹には、セキレイもいる
その鳴き声は、囀る、というよりも、奏でる、とでも言いたくなるような魅力を持っている
まるで、ヴァイオリンの奏でるメロディを聴くように...
そうか、と
万葉の時代には、こうした光景が、季節を迎えるごとに人々を和ませているのだろう、と気付く
昨日は、何も梅を観賞しに散歩したわけでもないのに、うっかり遭遇してしまった
こうなったら、私の中で「冬桜恋し」が目覚めてくる
そこで、今日は奈良の「万葉植物園」へ...
決して観光なんかじゃない
散歩だ、と自分に言い聞かせ、
ただただ、「万葉植物園」だけに足を運ぼうと、と出かける
奈良まで電車で行くのは、久し振りだが、たまにはいい
まだまだ「冬枯れ」の植物園だが、やはり「梅」や「椿」は、目に付く
そして...「冬桜」に今日も逢った
依然として、数輪の花を咲かせている
純白の可憐な花を、いつもいつも恋しいと思う
ここに立つときは、めったに人はいない
思わず言葉を発して、語らうような錯覚を起こしてしまう
不思議なもので、その語らう相手は...桜木に姿を借りる「万葉人」たちだ
決して、桜そのものが、万葉の時代からそこにあるわけでもないのに...
今、私が頭を悩ませている「遣新羅使歌群」の、愚痴でも聞いてもらいたかった、かのように...
史料は、比較的読み進めたつもりだ
この「歌群」のイメージも、取り敢えずは出来上がっている
あとは、「百四十五首」を、感じるままに...
「万葉集」の、同時代的資料となると、それほど多くない
「続日本紀」は勿論だが、時代の雰囲気を知るために、「風土記」や「日本霊異記」までも読んでしまった
これまで、万葉集の一首を味わうとき、後世の「歌集」を開いたり、「古注釈書」を探しまくってはいたが、
今回のように、「史書」などの「資料」を求めたのは、初めてのことだ
それほど特異な「遣新羅使歌群」だと言えるだろう、この「巻第十五」は...
明日からは、頭もすっきりしていることだろう...