昨年、還暦を迎え、そろそろ一年になる
ということは、丸六十年を終える年を迎えることになるが、
干支が一巡して、また初めから始まると考えれば、
人生のリセット、とも言えなくはない
六十年を抱えていたもの、振り返る、というのではなく
何を次の六十年に持ち越そうか、と真剣に考えてしまった
肉体的に、何が出来て、何が出来ないのか...
不思議なもので、想うだけなら、いつまでも若いままだ
しかし、身体がついていけないことも承知している
そこで「リセット」などと、都合よく思えるはずもないのだが、
いや、とムキになってしまう
想うだけなら、不可能なことなど一つもない
あれもしたい、これもしたい、と際限なく浮んでくる
そこから、あれは出来ない、これは出来ない、と篩いにかける
その「篩い」にかけられる基準と言うのは、多くの場合、身体的なものだ
確かに、普段から身体を鍛えておけば、その「篩い」に落とされるものも、少しは減るだろうが、
忘れてならないのは、「六十年間」の自己評価だ
そこにも、そこに、落とせるものを落とさないと、新たな積み重ねは、ますます身体を重くする
何しろ、人生の「リセット」なのだから、極端に言えば、ゼロからの始まりだ
自身の「記憶」の評価は難しい
「これは残しておきたい」、「これは引き継いでおきたい」と思うのが人の常であり、
何故かと言えば、そこに「長年の積み重ね」を、自分が評価してしまっている
それを見直す機会が、この「還暦」だと思えば、現実のこの年で、欲は持つまい
死ぬまでに、成し遂げたいもの、などとは望まない
むしろ、成し遂げられないものに、それでも懸命になろう、とすることに意思を持ちたい
その未練を残しながら、人生を終えるのも、その直前まで前に歩けるということ...
私の、最初の「還暦」は、何かを終らせることも可能だった
しかし、これから臨む二回目の「還暦へのあゆみ」は、
未練を残せるほどの何かを、さらに強い意志で持ち続けること...
これが、私の置いていくべき「還暦」から、これから向かうべき「還暦」になる
そして、珍しくそれが久し振りに誓う「年の初め」の決意だ
過去の自己評価、などそんなもの、どうでもいい
そんな「評価」は、いつか人生を終えたとき、その後にでもしよう