今日の朝刊に、連載されている特集記事の一文に目が留まった
昭和四十八年八月三十日に発掘された、茨城県勝田市(現・ひたちなか市)の虎塚古墳
未開口の「古墳」が、発掘された例はない
その時の発掘に関わった人たちの、喜びが伝わってくる
「未開口」古墳というだけでも、宝物に出合ったような気がするのに、
この古墳、東日本の古墳には彩色壁画はない、という学界の常識を覆すものだった
私には、その前年に奈良高松塚古墳が発掘され、
その彩色壁画の賑やかな報道が、辛うじて記憶にはあるが
この「虎塚古墳」のことは、まったく知らなかった
当時の私は、まだまだ「古代史」にはほとんど興味もなかったから...
この「虎塚古墳」を廻る、その価値は、いろんな資料で確認できるが、
私が、今日惹かれたと言うのは、
この記事の寄稿者が、当時を振り返って語るところ、
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―読売新聞 2015年12月19日朝刊―
壁画を後世に残すために一番大事なのは地元の協力です。見いだしたばかりの約1400年前の壁画を小中学生に見せたい。市長に提案すると、「大賛成です。全面協力します。」
調査最終日の朝8時半から、市内の小学5、6年生と中学生、一般市民に公開しました。1万2000人が駆けつけました。3人に1人がカメラを持参してます。
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この後の言葉に、惹かれた...いや、惹かれた、というより
同じような感覚を持っていた自分を、思い出したからだ
その言葉、とは
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「フラッシュ撮影はしないで。壁画が傷みます。目に焼き付けてください。」
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「目に焼き付けてください」...
当時は、現代のスマホやデジカメなどなかった時代だった
誰でも、そう簡単に写真撮影など出来るものでもなかった
だから、大袈裟かもしれないが、学界の常識を覆すような発見ともなれば、
一般人に限らず、その歴史的な発見の、「生の現場」を、
どうしても個人の記録に持っておきたいのも理解出来る
おそらく、その時に私が見学に行けば、きっと撮影を試みたことだろう...
もっとも、カメラを持てるほど余裕はなかったはずだが...
この「目に焼き付けてください」の言葉、当時の私が、ちょうど山登りに夢中になり始めた頃と重なり、
その時の自身に言い聞かせる言葉そのものだった
貧乏学生の私だったので、山に行っても、まったく写真などとは縁がなく、
自分のこの心の内に残す、それがいい、などとある意味では負け惜しみのような「気概」を持っていた
たまに、同行する先輩が、カメラを持っていると、渋々記念撮影に応じてはみたが、
当時の数少ない「山岳写真」もまた、今振り返ってみると、やはりいいものだ
当時の山仲間でも、カメラ持参というのは珍しく、
それぞれが「自分の山」を、心に刻み残すことを普通の事としていた
勿論、記録の掛かる山行では、「写真記録」も重要であったのは当然だが、
少なくとも「記念」に、という気持ちには縁遠かった
デジカメの普及、スマホの普及が著しい現代では、
撮影することの「気構え」、あるいは「心構え」というような思いはみられないだろうが、
当時は、私たちには一種の贅沢品であり、それよりも山行費用や、装備類になけなしのお金をつぎ込んだものだ
勿論、今の私は、そんな大袈裟なことも考えず、何気なく気軽にスマホに収める
それを、この朝刊記事によって、少々「気を構えよ」とでもいうように感じてしまった
スポーツ選手が引退すると、よく使われる言い方がある
「記録よりも、記憶に残る選手」と...
「記録」は客観性にとって重要なものだ
しかし「記憶」は、誰でもない「自分」にとって、掛替えのない「心の記録」だ