「冬桜」と形容される「さくら」は多い
もっとも、私の知識ではそれほどの種類を知っているわけではないが...
奈良における、私の好きな「桜」を見るのは、白毫寺の「子福桜(コブクザクラ)」と万葉植物園の「十月桜」、
そして、同じく万葉植物園の「冬桜(三波川冬桜)」、
「子福桜」と「十月桜」は、春と秋の年二回咲く八重桜で、これらは「冬桜」とは言わないらしい
その開花は、ゆっくりと数輪ずつ花を開かせるので、一つの樹全体の、「桜花」に魅せられることは
残念ながら、私にはない
ただ、小さな花を、健気に咲かせるその姿に、理屈抜きに「孤高の花輪」と、つい呟いてしまう
それに比べて、「冬桜」とされる一重の「三波川冬桜」は、
一本の樹に、一気に花が咲き誇るので、見ための景観は、確かに美しい
それでも、春のソメイヨシノなどの桜に比べ、その花はやはり小さく
ここでも、「可憐」さを見せてくれる
世に「桜の名所」は数多くある
私も、吉野の桜には圧倒されたものだ
しかし、寒い季節に、小さな花を懸命に咲かせている「冬の桜」には
たとえ、見事さはなくとも、心を惹かれてしまう
昨日の「万葉植物園」、季節的には園内の「色」は、まだ本格的な紅葉の前であり、
これといった目に映える「花々」などないのだが、
考えてみると、私がここを訪れる機会は、何故か秋から冬にかけてが多い
「花の季節」は、確かに美しいものだ
しかし、私にはもう一つの魅力を、草木たちに見ている...それは「冬枯れ」の「素枯れ」だ
葉も花も落とした、樹木の荒々しさに、いつも惹かれてしまう
思えば、つくばに住んでいた頃、千葉のアジサイで有名な「本土寺」に何度も行ったが
アジサイの見頃は、それほど行っていない
むしろ、二月にもっともよく通ったものだ
その時期は、アジサイどころか、花など咲くこともなく
ただただ、剥き出しの木々の姿が美しかった...それを求めていたものだ
だからなのかもしれない、この季節の「桜花」の小さな花輪に、つい目を奪われ、立ち止る
寒い季節の定番となる、「椿」や「さざんか」
これらも、昨日はそれぞれの生き様を見せてくれた
樹下に落ちる花房、そして数輪の花
「椿」は、「藤園」と同じエリアにあり、その姿様は、花に疎い私でも間違うことなく見分けられる
しかし、「さざんか」は、園内のあちこちにあるので、そばに行ってやっと分かる
「万葉植物園」の紅葉の見頃は、十二月上旬だろうと、言われた
その頃にまた来て、「桜」とともに、華々しい景観の「植物園」を楽しみたい
今は、ほんの少し、紅葉の気配を感じさせてくれる
私が、「万葉植物園」に向かう通常のルートは、
高畑の駐車場から旧志賀直哉邸へ歩き、その小路を春日大社へ向かう
その小路は「ささやきの道」と言われる、鬱蒼とした樹木に覆われた小道だ
今まで何度も歩いているが、人と行き交うことは滅多になかった
この日もそうだった
しかし、「ささやきの道」から「参道」に出た途端、多くの観光客の流れに吐き出される
「万葉の時代」のいっときの静寂さから、一気に現代の喧騒に戻される、私的な「結界」の感がする
ときおり、「ささやきの道」に、鹿を見かけることがあるが、そのときは「はっ」として驚かされる
道の両脇の樹林帯に、いきなり何かの気配を感じ、目を向けると、「鹿」...
参道には、人から餌をもらえるためなのか、鹿も多いが、こうしたひと気のないところの鹿は、
どこか可愛く思えてしまう...「変わり者」は、やはり愛すべき者だ
昨日の本来の目的、「万葉のサロン」が「佐保山茶論」であったので、
植物園をあとに、佐保に向かう
もう一つのブログで、万葉集のことを書いているので、ここでは、詳しくは書かないが、
「万葉人」の「死生観」というものは、いつも考えていることだ
今回のテーマが、「万葉集にいのちを見る」だったので、高名な学者の生の味わいを聞けるのは、
私には、いい機会だった
これまで、この「茶論」で、講師の小野寛博士の話は、何度か聞くが
博士自身が、ここ佐保と縁がある人なので、格式ばった「講演」ではなく、
まさに私的な「サロン」のように、談笑しながらの話が気に入っている
おそらく、「万葉集」関連の資料とすれば日本でも最大のものだとされる「高岡市万葉歴史館」
そこの前館長で、現在は名誉館長となられている小野寛博士の人柄もまた、
気ままに好き勝手に楽しんでいる私の「万葉観」でもっても、親しみを籠めて受け答えしてくださり、
決して「万葉集」が、偉い人たちだけのものではないことを、目の前で示されると、
私自身も励まされた気持ちになってくる
たんに講演を聴く、というのではなく、一緒に「味わおう」とする雰囲気が楽しめる
講演後の談笑の場で、この日採り上げられた「依羅娘子」が、
その夫である柿本人麻呂の死に際して詠った歌について、
この歌こそ、私が「万葉集」に興味を抱くきっかけの一つになったものだ、と話題が「鴨山五首」に至った
斉藤茂吉の一説は、講演の中でも話されたが、私が問い掛けた「梅原猛説」については、
博士は、笑いながら、あの説の発表の時は、憤慨したものだ、と...
もう四十年も前になるが、博士自身は、まさに研究者の一線で活躍されていたのだろう
「柿本人麻呂歌集」のことに至っては、人麻呂のことも充分知らない人が、と
その口調とは違う、当時の憤慨振りを思うことができる
勿論、梅原猛氏への敬意は相当なもので、人と学説への触れる姿勢というものを、改めて教えられた気がした
私の出身が、松江であることを知ると、
人麻呂からいつの間にか、国宝になったばかりの「松江城」の話しに移り、
私自身もなにやら観光大使めいた話し振りにまでなってしまって...
そもそも、私にとっての「小野寛」と言えば、
私が一首を読むとき、必ず手元に開く「有斐閣 万葉集全注」の「巻第十二」を執筆された学者だ
「万葉集」中、私にとってもっとも魅力的な「巻十二」なので、
その執筆者というだけで、雲の上の人も同然だった
それだけに、書籍の文章だけでなく、こうした会話が出来ることが、
どれほど「素人」の私にとって嬉しいことか...
今回は、歌の解釈の中で、現代注釈書の幾つかある書物の中でも、
小学館の「新編日本古典文学全集」が、博士にはもっとも勝れたもののようだ、と言われた
その後の言葉が面白い
私には、とんでもない、と思うところも多々あるが...
そう言いながら、この「注釈書」を推される...その姿勢も魅力がある
以前の私も、岩波の「大系」や、小学館の「全集」、
また新潮社の「集成」が当たり前のように机上で開かれたものだったが、
今では、むしろ個人の「全注」や、あるいは「古注釈書」を開くことが多い
長年積み重ねられた研究成果は、確かに素晴らしいと思う
しかし、効率や合理性を追いかける「科学的な数値」と違う「歌の心」は、
「古人」の味わい方もまた、現代では魅力の一つに成り得ると思っている
私自身が、実際そうだし、語法の研究や、語彙の研究成果は確かにあっても、
「歌心」という「味わい方」の深さには、また別な視点があるはずだと思っている
「古注釈書」に散見される「引用」された「古書」のオリジナルが、実際に扱えない以上
詠む人の深い心の「表現」もまた、現代人には、決して晴れることのない「雲霧」のようなものだと思う
だからこそ、ひとりよがりの「楽しみ方」もまた、許されるのだろう、と言い訳をしてみる