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Channel: 残雪、もとめて
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初めての古書店

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正確には覚えていないが、私が生まれて初めて「古本屋」に入ったのは、

確か、一冊の「万葉集」を求めてのことだった

もう四十年も前のことになる

大学の正門の並びにある古本屋で、それまでは何も気に留めることもなく店の前を通過していた

それが、そのとき店に入ろうと思ったのは、紛れもなく「万葉集」にどうしても逢いたくなったからだ

それ以前にも、きっと何かの縁で「万葉集」には触れていたと思う

それが、一向に思い出せない

だから、私にとっての「万葉集」は、その「古本屋」がスタートだ、という自覚が強い


どんな「万葉集」の書籍だったのかも思い出せず、ましてや今は手元にない

今の私を思えば、記念にその一冊くらいあっても良さそうなものを、と思うばかりだが

所詮、その当時はそれだけのことだった、ということなのだろう


以降、「売るも買う」も、古本屋には随分通うことになるが、

「万葉集」を求めた純粋な気持ちだけではないこともあった

山行の費用に、と今から思えば考えられないような、教科書売りまでしている

僅かな足しにしかならない資金の為に、などと高揚感もあった

現代では、当時のような一種独特な「古書店」だけでなく、

多くの人が、普通の「本屋」感覚で利用できる「古書店」も数多くある

ただし、なかなかアカデミックな古書を揃えるところは、少ない

だから、必然的に昔ながらの「古本屋」に足が向く


ここ数年の私の「古書購入」は、ネットと奈良になっている

ネットでは、一覧表を何度も何度も目で追いながらの楽しみ

また、奈良では、狭い店内の、床から積み上げられた「全集」などを眺めるのが心地良い

一冊の単価が数千円するような「全集」が、ときに一揃いでも、かなり安いときがある

そんなときは、たとえすぐには必要ない、と解っていても、つい手が出てしまう

店主に聞くと、こうした古書は、安くして早く売らないと、邪魔になる、とのことだった


私のような、酔狂な者には大歓迎だが、床から所狭し、と居据わる「全集」類は、

確かに、厄介なものなのだろう


科学分野で、日々猛烈な進展を見せる「理論」などの研究書は、

「古書」にそれほど価値はないのかもしれない...ある意味ではあるのだが...

しかし、「古典」の「注釈書」となると、まったく別なものだ

現代の積み重ねられた研究成果も、確かに大切なことだが

過去においての、その当時の人の「解釈」というのが、決して色褪せないことは、私にも理解出来る

人の「感性」というものは、時代によってその「価値観」を反映させもするが、

普遍なものもある

今の私など、万葉集の「古注釈書」に触れることが、

あたかも数百年前の人の「感性」を垣間見ることができ、なかには新鮮さすら感じることもある

それは、私が夢のように、と望んだ「万葉人」との「会話」に近いものがある


前回、奈良で購入し残した「校本万葉集全巻」...

そろそろ、逢いに行かなければ...まだ残っていることを願って...


四十年前の私が、少しはバージョンアップして今ここに存在している

まだまだ、私の成長期

還暦、というのは、また仕切り直し、という意味なのだろう


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