上代の風景など、私の乏しい想像力ではとても描きにくい
しかし、似通った文字から一変するその叙景には、しばらく覚めることはなかった
そこまでになると、単に叙景詩ではなく「情景詩」とでも言えるものだと思う......同じ景色でも、見る人によって違う、そんな観念的な自身の変化に、驚きもした
これが、ある場面のワンシーンをどう感じるか、ではなく
一つの文字によって、その頭に描き映し出される場景が固定され、さらにその文字が僅かな可能性でも「誤字」であれば、
その「誤字」をどう扱えば、その一つの場面が描かれるのか......
もとより、趣味でのめりこんでいる「万葉集」
どんな方向へだって自由気ままに走って行けるが、万葉の世界を逍遥するには、まだまだ知らないことが多く、
その都度気づかされては、手持ちの資料で確認して、自分に納得させる作業の繰り返しになっている
当然それが淀みない作業の一環とした流れになるはずもない
一つのことが気になれば、回り道、寄り道なんてお構いなし......そんなスタイルで、もう何十年も経っているが、面白いことは常にあるものだ
ここ数日、頭に描かれる場景が気になっている
ホームページに新しく設けた「難訓・未定訓」で拾い出した一首に、
矢釣山 木立不見 落乱 [雪驪 朝樂毛] 巻三-264(旧歌番号262)がある
この歌の下二句が「[雪驪 朝樂毛」であり、現在でもおそらく定訓はないと思う
ないからと言って、まったく読めない訳ではない
上三句には、この歌の背景とも言える場面が浮かんでくる......問題は、そのあとの場面になる
奈良明日香村の八釣山、木立も見えないほど雪が乱れ降っている......
柿本人麻呂が新田部皇子に献上した一首だが、人麻呂の作歌には漢語を用いたり、助詞の表記がないものなど
後世の学者たちに、その訓の宿題を多く残している
何しろ、現代の私たちが、ある程度不自由なく万葉歌を諳んじられるのも、約二百年後の平安時代に
当時の歌人たちによって点けられた「訓釋」によるものだ
それまでは、ほとんどの人が読み解くことは出来なかった、という
不親切な人麻呂の残した「詠歌」を、何とか訓読しようと、多くの歌人・学者たちがそれこそ生涯をかけて研究している
この矢釣山の一首にある下二句の未定訓
古来より、様々な学者が自説を展開させて解釈しているが、ここまで難訓として残り続けるのは、
どれもが、十分な論理的な解釈を得られていない、そこに反論が加わり、さらに「誤字」説まで入り混じってくる
私自身の素人的なこれまでの思いは、「誤字説」は論外であり、それを認めれば多くの恣意的な解釈が可能になってしまう、だから「誤字説」には耳を傾けない
ほとんどそんな思いで、万葉集に多々ある異訓の中でも、誤字説には心を靡かせることはなかった
しかし、この上述の一首には......その正誤というよりも、その一字でもって私の脳裏に描き出される「上代のある一場面」が一変したからだ
未定訓の「雪驪 朝樂毛」
ここに「驪」という文字がある
原文は「驪」だと言うが、現在一片もオリジナルが存在せず、現在では古来からの写本が伝わるだけで、そこに誤写があっても不思議でない時代
ましてや、活字楷書体になれている私たちには、常に難読となる古来からの書体
それが平安鎌倉江戸と時代を経ると同時に、どこまで正確にオリジナル本来の姿を維持できたものか、それはかなり難しいことと思う
「驪」という漢字の読みと意味は、〔読み〕リ・レイ 〔意味〕[名詞] 1.真っ黒な馬。 2.黒色の竜。 [形容詞] 黒色であるさま。 3.[動詞] 並列にする。ならぶ。ならべる。
「説文」によると、馬の深い黒毛のもの。「馬」から構成され、「麗」が音。
人麻呂の時代の、この「驪」という漢字の認識が、どんなものかは想像もつかないが、少なくとも「借音」の一首ではないようなので、
「馬」が少なからず関係していることは想像できる
そうすると、「雪」「馬」......そこから浮かぶのは、白い雪の中を疾走する黒い馬
私など、真っ先にそう思った
しかし、平安時代後期の諸本の一つ「類聚古集」に、「驪」ではなく、「驟」の字が載せられている
「驟」の読みと意味は、〔読み〕シュウ 〔意味〕[動詞] 速く走る。馳せる。[形容詞] 突然なさま。急なさま。[副詞] 1.突然に。にわかに。並列にする。ならぶ。ならべる。2.しばしば。
「説文」の〔形声〕では、馬が早く歩く。「馬」から構成され、「聚」が音。
どちらも「馬」が絡んでの作歌になるとは思うのだが、まだ誤字の解釈がある
それは、一首の意味合いから、人が集って賑やかに楽しんでいることから、「驪」を「騒」の誤字とし官人たちが出仕前の雪の降りしきる朝に集いて楽しんでいる、であったり
「類聚古集」の誤字説「驟」を、さらに「耳+聚」として、その可能性を論じたり......「耳+聚」だと、「雪に集まり・雪につどう」など、乱れ降る雪に「朝は楽しいなあ」とはしゃぐ官人たち
どうして「馬」を外したのだろう
もっとも合点のいくあくまで感覚的な解釈だけど、「雪にさわける」と読むと、単に賑やかな朝の出仕前の光景になるが、そこで「驪」の漢字が生きてくる
賑やか、そうその賑やかさは、ただ官人たちが集まって賑やかなのではなく、白い降る雪の中で、黒い馬を走らせて歓声をあげている光景
「さわける」を「騒ぐ」の誤字として解釈するのではなく、「驪」という字自体にそれを想い描かせる情景があると、私は思う
「雪驪」の古来よりの主な「訓」 〔何しろ「驪」字は、万葉集中、この一首にしか使われていない〕
ユキモハタラニ 「はたら」は「斑」 白雪と黒駒のコントラストとか、まだらに積もる雪か まだらであるさま
ユキニクロコマ 「説文」に「黒毛馬也」とある
ユキニキホヒテ 「キホフ」は張り合って勇み立つ。先を争う
ユキニサワキテ 「やかましく声や音を立てる、騒がしくする」
もっとも新しい万葉集の叢書の一つである、岩波の「新日本古典文学大系」では、一案として「ユキニツドヘル」を載せるが、
同じく小学館の「新編日本古典文学全集」では、訓なしとしている
従来のそれぞれの研究者たちは、個人の思いを論文として書き記すことができるが、
一般の人たちに万葉集の面白さを伝える全集の類ならば、複数の研究者が関わっているだろうから、なかなか個人の見解は載せ難いのだろうか
先ほどの「驪」や誤字説も含めて、「馬」が背景にあることは、すぐに理解できる
しかし、この場合はそんなに一般的ではなかった
と言うのも、つい先日まで同じく難訓とされる歌に接していた
それは、「舟公宣奴島爾」(巻三-250(旧歌番号249)の下二句
この訓で、「舟公」を様々な訓解釈がされている
結句の「宣奴島爾」の誤字説などの影響で、第四句の「舟公」にも訓字方に多少の違いはあるが、
多くは「フネコグキミカ、フネハヨセナム、フネヨセカネツ、フナビトキミガ、フネナルキミハ」
更に「宣」を「宿」の誤書写として「フネコギトメテ」などがある......上代の書体では、こうした似通った字の間違いは多かったと思うが......
このとき思ったのが、「舟公」、を意味はある程度わかるのに、どう訓めばいいのだろう、と
上述のように、訓見方は様々にあるが、ふと思ったのは、
「夢人」と書いて、夢を見る人
「旅人」と書いて、旅をする人
などのように、「~をする」が省かれていても、その意味は理解できる
ならば、「舟公」の場合、「舟漕ぐきみ」になるのだろうか......「ふねこぐきみ」 近現代より上代に近い注釈書の方が、素直にそう解釈しているように思える
まだまだ、古文の言葉には、惹かれてしまう