身近な人たちの急変は、それを意識するからなのか
こうも立て続けに起こるものだとは...
親戚や、同僚の周辺...気づけば、自分もその年代に置かれている
限りあることは承知していても、これまで意識すらしたこともなかったこと
この先の十年、二十年後のことを思うとき、
今から十年前、二十年前のことを思う
あの頃は、もっともっと若々しい考え方をしていた
何も恐れることもなく、やりたいことに夢中になって突き進んだ
そして、今になって恐れるのは...
生活環境の違いではなく、終焉を迎えたときからの「逆算」を始めている自分を知ったからだ
それまでの時間、何が出来るのか...
そう思うと、あれほど「無駄を愛す」と言っていた自分が、ひどく愚かに思えてくる
そう、無駄なことはしまい...
とは思っていても、またふとそれに反発する自分もいる
何もきちんと「やり終え」て綺麗にする必要はない、と
あたかも、先ほどまで「その最中」にいたままで終えてもいいのではないか、とも思う
それに、それは「無駄」なことをしていたからではなく
したいことを、マイペースで「していた結果」のことであり、やはり俺はそれでいい、と言い聞かせる
ただ、幕を降ろす時期を意識したことで
確かに明確な「工程」をこんなにも意識してしまった
この十年間でしてきたことを、極端に単純計算すれば、二年でしなければならない
そんなプレッシャーを自分に課すことが、現実に目の前で起こったことの大きな影響と言える
「日々を想うこと」
まず、それを再度実現させなければ...今すぐにでも...