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Channel: 残雪、もとめて
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蝉の寂たる「命」を

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蝉の寂たる「命」を


左眼の不調で、しばらく読書も控えていたが

何とか、この週末で随分良くなった、と...先週は、それが慢心だったことを思い知ったが...

しばらく「一日一首」から遠ざかって、眼を必要としない音楽に耽っていた

でも、いつまでもそんな風に自分を甘やかせられない...本当はかなりの自分への甘ちゃんなのだが...

一応、「やる気」を出そうと、気分転換に明日香と奈良に車を走す

いつも早朝から、蝉の煩い「生きる声」に閉口しているので、明日香はどうかな、と


明日香では、勿論文化館の図書室で涼を取り、

奈良では、この暑さの中を、歩き抜こう、と予定を立てる

この地を訪れるときは、観光気分にはならない

車で一時間足らずなので、ちょっとした「所用」の感覚だ


奈良では、また古書店で「校本万葉集」が残っていれば、買うつもりでいた

ただ、あの全巻を持って歩くのは堪えるので、道中作戦を考えながら...


四季を通じて、私が明日香や奈良に感じる「らしさ」は、どうしても晩秋から冬になる

決して、その季節が一般的に「美しい」と言われるものではない、とは承知している

ただ、紅葉も終り、鮮やかな色も褪せ始め、素枯れの木々を見せてくれる万葉故地は、

私には、とても魅力的に映る


今は...万葉文化館前の庭園の「緑」...これなど、「自然色」の中では、まるで「無色」だ

今の季節であれば、「緑」が基調になり、目に癒しを与えてくれることは、充分理解している

でも、私には、その「無難」な色彩に、「香り」を感じることが出来ない


 

万葉文化館では、どうしても読みたかった本があったので、それを探し出し、コピーしようと思ったのだが

その本を見つけて、コピーは諦めた

「萬葉集東歌古注釈集成」...この書籍、厚さが五センチ以上はある

残念ながら、この書物からコピーは出来ないだろう

今、シリーズで書いている「一日一首」の「東歌」に、とても魅力を感じる書なのに、

ここで書写しなければ、と思うと、気が重くなる

しかも、せっかく左眼も良くなっているのに、ここで根を詰めては、と不安にもなる

そのとき、ふと思ったのが、奈良の古書店にありそうだ、と

この「古注釈集成」、私の知らなかった「古注釈書」も随分とあることを教えてくれる

勿論、研究者でもない私が、知っていることなど、たかが知れているが、

それでも、想像以上に多くの「注釈書」があることに、驚く

さらに、契沖以前の「古注釈書」を、一首ごとに併用して比較できるのも、随分と魅力的だ

「古注釈」の筆者たちの「万葉の時代観」に、今更ながらに畏怖を覚える

デタベースの充実した現代と違い、手元にその「テキスト」がなければ、決して書き得なかった時代の人たち

その凄まじい気力を、感じることができる

私には、到底その迫力には敵うこともない


この後、奈良で探してみよう...そう思ったら、気分転換の「明日香・奈良散策」が、

いきなり「ちょっとした買い物気分」になってきた


この暑い陽射しの中を、散策だ、などと歩き回るのではなく

一冊の書を求めて歩くのは、まさに近所への買い物気分...それも奈良の魅力だ

私は、決して観光客ではない、と粋がって...


例によって、高畑の駐車場に車を停め、やはり最初は「ささやきの小径」から、「萬葉植物園」に向かった

そこで、初めて気づく


「蝉の寂たる命」を...


きっと、明日香でもそうだったのだろう、と思うのだが、今回は明日香は歩かなかった

図書室で随分時間を掛けてしまって...

志賀直哉旧居の前から「ささやきの小径」に入るのだが

そこを少し下って、雰囲気は一変する

まるで「万葉時代」に足を踏み入れたかのような...

蝉...鳴き声を確かに聞くことができる

しかし、いつもイメージする「けたたましさ」ではなく、どこか物悲しい

きっと儚い自らの命を、かみ締めているのだろう

そう思うと、普段煩く感じる彼らの「気持ち」に、人と同じような愛しさを感じてしまう

「蝉たちの寂たる命」、彼らが実際にそんな儚い気持ちなど持っているかどうか、私には解らないが

これほど鬱蒼とした樹木の中で、「寂」として鳴り響く声は、どうしても自己の運命を知っているように思えてならない

木洩れ日に窺える陽射しの強さ

夏の暑さの、人の気力をも削ぐかのような「焦獄」を、ある意味では「涼しげ」に鳴き響かせる声

「ささやきの小径」、現実から万葉の時代を懐想でもしているような...勿論、自らの体験もないのに、

懐想などとは言えないが、そんな錯覚さえも、この「蝉の寂」は、感じさせてくれる

 

気持ちのいい「ささやきの小径」を抜け、春日大社の参道へ出る

そこから本殿へ向かうことなく、「萬葉植物園」へ...

明日香で思ったのと同じように、この時期の「植物園」に、それほど魅力を感じてはいない

きっと、「緑の園」を歩くだけだ

そして、確かにその通りにはなったが、なでしこ、むくげ、ききょう、ひおおぎ、原始ハス...

可憐な命を、そっと知ることができた

「植物園」では、「花の彩」はなくとも、その環境に魅せられることもある

小川のせせらぎを聴きながら、木陰に佇む

時を幾代も重ねて、それでも人はこうした景観に心を和ませる


ここで、決まったように「古木」に目を奪われる

幾代もの風雪や人の愚かさを見たものたちの、まるで「化身」のように思えてくる

自然と目を閉じて、語りかけた...「永遠に生きるつもりか」と...

 

「植物園」を出ると、迷うことなく「もちいどの」の商店街へ向かう

猿沢池を下った辺りに、お気に入りの古書店があり、そこに先日目をつけた「校本万葉集」がある

まだ残っているかどうか、不安もあったが...何しろかなり傷んだ函だとしても、

あの価格は魅力的だった

読むのに支障がなければ、どうしても欲しい...そして今回は「万葉古注釈集成」も探す


さすがに明日香よりは、奈良の観光客は多い...しかも、思った以上に中国人が多い

すれ違う人たちの中国語、彼の地でもこのような「故地」は多いのだろうに、と思いながら...

 

「校本万葉集」は残っていた

さっそく店主に購入を告げると、重たいので、近くの駐車場まで車を移動させたほうがいい、とアドバイス

そう言えば、前回は両手に重たい紙袋を持ちながら、奈良を歩いたことが甦る

ありがたい申し出に、店で預かってもらい、それまでもう少し奈良を歩きながら車を近くへ移動させよう

しかし、近く、と言っても、狭い「もちいどのセンター」の周辺だ

教えてもらった駐車場も、なかなかその道順が分からず、結局猿沢池の駐車場へ停める

それでも、かなり近くになった

この暑さ、いつもなら人の多い猿沢池周辺も、あまり人は歩いていない

私は、汗だくになりながら、重い書物を運ぶ...「古注釈集成」は見つからなかった

帰宅してネットの古書店で見つけ、そこから取り寄せることにした


観光客じゃないから、あちこち歩き回ることもない

そう...家の近くを散歩するかのような、「明日香・奈良」であり続けよう、と思う

 

 

 

 


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